「そうでもない」とか答えると面倒くさそうな顔しそうだし。

あんまり自分のこと元気かどうか気にしてなさそうな人に「元気?」って聞かれたりして、「元気だよ」って特に元気でもない時に答えた後の、さらに元気吸い取られる感じ。

そういう人、俺が元気でないことを半ば期待しつつ、残りの半分で「(元気って言えよ)」ってプレッシャーかけてきてるような気がする。

ひねくれてるんですかね。そんなこと思ってる人などいないんですかね。季節性情動障害というやつなのでしょうか。寒さのせいか。

35歳ぐらいで死んでもいいような。

就職していった友人たちと久しぶりに会うと、住む世界が変わってしまったような気がする自意識がむくむくする。

修士終わりそうなのに行き先決まってないから、「何するんですか?」と聞かれても、「進学・・かなぁ・・」ともぞもぞ答えるだけだし。

長生きしたいと思わないから、社会適応力無いなりに生きれるだけ生きてみて、スッと消えれれば別にそんなつらみもなさそうかなと漠然と。

もう欲望するものも特に無い気がするけど、スッと消え方も無さそうな気がするのでその辺のアレがアレでアレ。

断片的なもの。

横浜美術館のBODY/PLAY/POLITICS展で展示されてる石川竜一の『小さいおじさん』『グッピー』は岸政彦感あって良かった。

岸政彦って書いとけば岸政彦が読むんじゃねって思って岸政彦って書いてる感ある。マイブーム。

まずはこの辺ちゃんとやればよさそう。

バウマン:一口、二口噛んだ。

ブルデュー:名前と雰囲気知ってる。

贈与論の人:本借りたけど名前忘れた。

桜井厚:本沢山借りたけど積んでる。批判対象っぽさ。

シュッツ:文献で名前よく見る。ライフストーリーの元締めっぽさ。

 

社会学とかオーラルヒストリーとかライフストーリーとかでアレをナニしたみがあるけど、腰据えてない感じがひどいのでひどい。

とりま対象絞ってインタビュー重ねてるっす感出してるけど、学問的背景の抑えてなさがひどい。

が、学部の時にやってたことと違う分野なので・・みたいなアレがナニ。対話的構築主義ガーとかそういうことだな、よし。そうか。

 

とりまライフストーリー研究というものをどういう風に形にすればいいのかわかりませぇん(へらへら)というぐらいの不勉強さを恥じています。

 

ひどい。

追いつけなさそう。

始めるの遅すぎて前の方にいる人たち見えんし、いや実際は見るたびにそんな気がするだけなんだけど、あーってなる。

もっとずっと早くから勉強しとけば良かったなぁ。今更感強いけど、後ろの方からとぼとぼと歩いていってみよう。

岸政彦っぽくなりたいけど、無駄に人生を過ごした後に大学に入り、知の蓄積がろくに無いまま、院生をやっている。

今更なれなさそう。遅きに逸したみがある。